ふくろう通信

平成30年10月5日
米山 昌英

暖かき人の心が
        佛にて (三島・龍沢寺 中川 宋淵老大師)


 先日、ある若い従業員から「うちの会社は、どうして毎月の給料を振り込みにしないのですか。」という質問を受けた。
 もっともな意見であり、物事を合理的に考える今の若者には、に落ちない疑問だと思うので、今回はこのことについて少し私の考えを述べてみることにした。
 会社を創業して45年、給料を貰う立場から支払う立場になって、常に心がけてきたことが三つある。
  1・ 給料はけっして遅配しないこと。
  2・ 給料は、現金で直接渡すこと。しかも新品のお札で渡すこと。
  3・ 給料は、働いて頂いたことに感謝を込めて渡すこと。
 これらの心がけは、経営者としては、ごく当たり前のことである。大切なことは、自分の心の中にしっかり仕舞しまって、常に心がけておれば良いことだと思ってきた。現在でもこの気持ちは少しも変わっていない。
 給料を銀行振り込みにすれば、事故もなく安全であり、事務処理を考えると実にスマートで能率的である、ということには私もまったく同感である。
 高田馬場店が開店して丁度5年目頃、お店で盗難事故が発生した。今から40年前の70万円である。そのときは、やはり銀行振込みにしておけば良かったな、と後々のちのちまでもいたものである。
 それでも私が「現金支給」にこだわってきた裏には、能率や安全だけではいやされない人間の喜びや悲しみをげん体験とした、16年に及ぶサラリーマン生活がずっと陰を落としているからである。
 詳しいことは書けないが、私の勤めていた会社では、給料のことではいつも嫌な経験を何度もした。
 一生懸命働いた自分の給料をせめて「ご苦労さん。」といって、気持ちよく渡して欲しいと、何度も自問自答したことがあった。
 それでも給料を現金で受取るというのは、とてもうれしいことだった。頂いた現金を幾つにも袋分けして、1ヶ月分の計画を立てた。そうして計画しながら貯金もした。
 特に家庭を持ってから、現金の入った給料袋を妻に渡すのは、男として一家の柱になったという自負心と共に、妻子を養うことの幸せを充分に味わうことが出来た。
 年二回の賞与を頂くときは、特にそれを強く感じた。ボーナスの額は、微々たるものであったが、やはり通常の月よりも余分なお金が入るという喜びは、現金を手にすることによって、この上ない至福のひとときを味わうことがきたのである。
 一方妻は、給料を一家の働き手から受け取ることによって、夜遅くまで働いてくれた夫の苦労を思い、自分も少なからず夫の勤めに対して、貢献できた喜びと感謝を享受きょうじゅすることが出来るのである。
 一片の給料明細書だけの入った給料袋を頂いて、皆さんは「ほんとうに有難い」という実感が心から湧くのであろうか。
 能率的で安全な銀行振込みにすべきか、ずっと悩んでいたあるとき、経営コンサルタントとして有名な一倉さだむ先生のゼミで「給料は振込みにするんじゃない。現金で支給しなさい。」という確信の一言に触れて、大いに心励まされ、長い間の心の揺れが氷解して得心した。
 給料は現金で、しかもいつも手垢てあかのついていない新札で、渡し続けたいと願い続けて来たのである。願わくは、ひとり一人の従業員に「ほんとうに一ヶ月間働いて頂いてありがとう。」と、感謝の心を込めて渡すことが出来れば最高である。お客様から頂いた大切なお金を、お客様に成り代わって感謝と真心を添えて渡したい、というのが私のほんとうの本心である。
 こうした私の想いを主力の昭和信用金庫新宿支店の皆さまがご理解下さり、長い間、新札を渡すことが出来たのだが、会社の成長と共に支払額も大きくなり、やがて新札は一週間くらい前から何日も掛けて、当社のために少しずつ新札を貯めながら準備をしているということを、得意先の担当者から聞いて大変驚いた。
 いつもきれいな新札は、依頼すれば簡単に手に入ると思っていた私は、今までの昭和信用金庫さんのご努力と当社に対するご厚意に、心から感謝するとともに、深く心に止めお詫びをした。
 毎月頂く給料袋に少しでも新札が入っていたら、銀行さんの大変な努力と好意によって、続けられているという事実を、これを機会に是非心に留めて欲しいものである。
 長い間、昭和信用金庫さんのご苦労も顧みず、己の都合ばかりを押し付けて来た自からの行為を只々恥じ入るばかりである。


合掌




米山 昌英